出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マルク州 カイ・ケチル島 |
資料にある地域情報 | カイ諸島 |
慰安所があった時期 | 1944年頃 |
記載内容 | ある日私は珍客の来訪をうけた。陸士同期の弘田中佐であった。・・・そこで弘田参謀の任務は、ニューギニア本島の南方に散在する離島であるアル、カイ、諸島に孤立駐屯している第5師団長に対して、お別れの訓示を伝えること、いはば引導を渡しに行くことだ、という。・・・そこで私は、陸士56期の山崎中尉を長とする1機の乗組を編成し、カイ諸島まで約500キロの薄暮および黎明の往復航法演習を命じた。そして同乗者の1人に弘田参謀をくわえた。・・・任務をぶじに終えた弘田参謀の話しによると、司令部の移転にともない、いままで愛用していた現地人の慰安婦が数人いて、処置にこまっている。もしよろしかったら、このたびのお礼に、その処置をおまかせしたい、という。・・・じじつ、アマハイ基地にはこの種の施設は皆無だったので、私はかねてから、明日の命も知れない空中勤務者たちが、なんの不平もいわずに不自由をしのんでいるのをかわいそうに思っていた。・・・さて100キロばかり離れた小さな島におき去られた、彼女たちの輸送方法が問題だった。・・・一方張りきった設営委員は、彼女たちのたむろする一画の名称を投票で、珍無類”大黒荘”ときめ、万端の準備をととのえて、輸送機の飛来を、首を長くして待つことになった。・・・『敵米軍レイテ湾に上陸開始、戦隊はただちに比島に転進すべし』これで、せっかくの、弘田参謀の厚意も、お気持ちだけを頂戴する結果となり、髪を刈り、ひげを剃って、大黒荘の店開きを、いまやおそしと待ちかまえていた空の勇士たちは、急転直下、勇躍、レイテの決戦場に、おっ取り刀で、かけつけることになってしまった。 |
証言者 | 土井勤 |
証言者属性 | 飛行第75戦隊長、陸軍中佐 |
部隊名 | 飛行第75戦隊 |
資料タイトル | 太平洋戦争ドキュメンタリー 第18巻 |
著者、公文書発信者など | 中村正利 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1970.02.28 |
発行所 | 今日の話題社 |
ページ | 121-123 |
出典備考 | 土井勤「豪北の旋風」 |
備考 |
250万分の1東印度諸島2号の地図にKAI諸島がある。現在の地図の同所にカイKei諸島がある。 カイ諸島はカイ・ケチル島、カイ・ベサル島その他の小島で構成されている。 旧地図は次を参照のこと。 http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH011422 |