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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報西パプア州 マノクワリ
資料にある地域情報西パプアのマノクワリ
慰安所があった時期
記載内容この混沌とした戦況のもとでは、マノクワリに住んでいるオランダ人、インドネシア人らの非戦闘員たちの生命を安全に保障するためにも、情報がもれることを防止するためにも、彼らをマノクワリ守備防衛区域内におくことは適切ではなかった。・・・昭和19年6月上旬、第2軍築城班長甲田孝中佐の指揮する『甲機関』が編成された。目的は、これらの非戦闘員を、マノクワリ西側後方の安全地帯に移住させ、自活を助けて保護することであった。・・・いよいよ、甲機関の編成をおえて、非戦闘員たちを誘導して、出発しようとしたときだ。そのなかの若い女性を、ある目的に使用するために、マノクワリ守備地区にのこすように、上司の命令だとして、F・S中尉がやってきた(註、彼は終戦後、蘭印法廷の判決で死刑となった)。それに反対して激怒したのが李鍾鑚少佐だ。「言語道断も、はなはだしい。発案者を射殺して、俺も自決する。俺の考えは間違ってはいない。どう思う。軍医さん!」李少佐は私に問いかけながらも、静まるところを知らないほどだ。その場の情景は険悪なものとなった。私は、彼女ら全員を即刻、その場から移動させ、極力李少佐をなだめ、ようやくのことで、事態をおさめて切りぬけた。
証言者柳沢玄一郎
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル軍医戦記
著者、公文書発信者など柳沢玄一郎
公文書宛先
発行日2003.7.17
発行所光人社
ページ212
出典備考本資料は光人社NF文庫版である。単行本『あゝ南十字の星』(神戸新聞出版センター)1979年8月刊を改題。
備考
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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