出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | パプア州 ジャヤプラ |
資料にある地域情報 | ホーランディヤ |
慰安所があった時期 | 1942年5月 |
記載内容 | 「君はどこから来ているの」とできるだけ、やさしく尋ねた。やっと彼女は唇を綻ばして、「京都から」・・・「昭和17年の5月からどすもの、もう2年あまりにも」・・・「兵隊はんは、手柄お立てやしたら勲章をおもらいやすやろ、あてらはかましまへんけど、あてらかて悪いことしてしまへんのどすさかい、ご苦労はんとぐらい言うておくれやしたかてよろしおすやろ。・・・そやのに兵隊はんは兵隊はんで、あてとお寝やしてすんだらあてに恥かかして。軍医はんは軍医はんで検診しやはって、しばかはったどっせ。どうせ汚れた身体どすけど、そんなことされてあてかて黙ってられると思いやすか」・・・「ところで、君の戦歴を聞かしてくれないかね」「ほな、聞いとくれやすか。あてら始めニューギニヤのホーランディヤへ四航軍の飛行機で運ばれたんやし。軍属の辞令ももろたんどす。・・・始めての戦地やもん、ホーランディヤでは心から兵隊はんにサービスしたげたんどす。・・・」「ホーランディヤでは目茶目茶に爆撃されたんどす。あてらと一緒に来た姐はんが2人もお死にやしたし、あてら、こおうて、こおうて、どないして逃げたか分からへんどした。ほれから軍用船でここへ来たんどすけど、途中でまた潜水艦にねらわれて、あて3時間も海の中で泳いでたんどす。・・・」・・・さらば航空荘よ。 |
証言者 | 青木滋一、金川中尉、氏名不詳 |
証言者属性 | 日本軍兵士、日本人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 比島からの碧き飛行雲 |
著者、公文書発信者など | 青木滋一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.5.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 159-160 |
出典備考 | この項は著者の青木滋一と同僚の金川中尉の体験を青木が記録したもの。航空荘を訪れたときのことのようだ。 |
備考 |
250万分の1東印度諸島2号の地図ニューギニア島の北海岸にHOLLANDIAがある。現在の地図の同所はジャヤプラJayapuraである。ホーランディヤは戦後ジャヤプラと改称された。 旧地図は次を参照のこと。 http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH011422 |