証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ヤンゴン管区 ヤンゴン市
資料にある地域情報ローヤル湖畔(ラングーン)
慰安所があった時期1943年1月
記載内容こうした空襲下に、慰安所の女どもは赤い下着のまま壕に走り込む姿もみられたが、滑稽といおうか、あわれといおうか。慰安婦というと、朝鮮人・日本人・現地人の三色で、相当豪の者が多い。日本人は九州から中国筋、関西人がその大半を占めていた。中でも朝鮮人はなかなかねばりが強いようである。支那人は、ことばの関係もあって、一般に同胞ほどにはこまかい情がうつらなそうで、また現地人は平凡というか、適当なことばをしらないが、“料理なら支那料理、妻をめとるなら日本娘”日本人がいったことばでもなさそうだが、とにかく人種別に見るとそれぞれの特徴や欠点があるようである。参謀部あたりも、戦地ですさぶ兵隊の心の慰安には、こんな問題までも頭を使わなければならんようである。軍法会議に回されるような犯罪は、慰安設備がない場合に起こることが多かった。・・・絃歌三昧、星といかりが踊り狂うラングーンの粋香園と遥地亭とは芸妓、髪結、鳴物屋など総勢およそ150名、なかなか豪勢なものである。
証言者証言者不明
証言者属性日本軍兵士
部隊名特設鉄道隊
資料タイトルパゴタの鐘 特設鉄道隊の裸像
著者、公文書発信者など小島新吾 西村清
公文書宛先
発行日1956.7.7
発行所ビルマ会
ページ93-94, 96
出典備考注:90pに「部隊本部がラングーンの中央、シュエダゴン・パゴダの近く、ローヤル湖畔に移動宿営してからは、ようやく衛生的な生活にはることができた」と記されている。
備考 p90に「部隊本部がラングーンの中央、シュエダゴン・パゴダの近く、ローヤル湖畔に移動宿営してからは、ようやく衛生的な生活にはることができた」の記述。
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