出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | ヤンゴン管区 ヤンゴン市 |
資料にある地域情報 | ラングーン |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | そんなわたしが、現実に童貞を捨てたのはメイミョー駐屯中、火砲と牽引車の整備のために出張したラングーンの、日本人女性の慰安所においてである。しかし、「市丸」という源氏名の日本人プロ女性はきわめて無愛想で、わたしのいのちを賭けた童貞との別れのセレモニーは、なんの色彩も感動もなく終わった。市丸だけでなく、どうも日本人慰安婦は気位が高く、事務的で、金のない下級兵など軽視している風があった。・・・そのよい例は、メイミョーの清明荘とラングーンの翠香園の場合である。・・・ビルマ方面軍司令部のあるラングーンにも、久留米の業者が百五十名の女を連れてきた「翠香園」などの高級料亭がいくつかあり、やはり、高級将校たちの宴会場兼慰安所になっていた。終戦直前、ラングーンからモールメンへ、飛行機を使っていち早く逃亡したのが、こうした料亭で女を抱いていた軍司令部の高級将校たちであった。 |
証言者 | 秋元実 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 野戦重砲兵第3連隊 |
資料タイトル | かたりべの群れ2 私の戦時体験 |
著者、公文書発信者など | 沼津戦後の戦友会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1988 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 5-6 |
出典備考 | 秋元実「慰安婦と兵隊」 |
備考 | ラングーンはビルマ南部にある。現在の地図ではヤンゴンである。/参考資料:『ビルマ(ミャンマー)に残る性暴力の傷跡』(「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク編1998.1)の表紙に「将校クラブ「翠香園」」の写真が掲載され、「現在は退役軍人のための施設となっている」とのキャプションがつけられている。 |