出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | ヤンゴン管区 ヤンゴン西部県 ダゴン郡区 |
資料にある地域情報 | ラングーン |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | ラングーン駅に着いた。さすが戦場の駅である。首都の停車場といっても人混みで混雑しているわけではない。・・・我々は部隊の荷物だけを早々に降ろし、これはトラックで送ってもらうこととし、すぐ宿泊地に向け出発した。・・・軍の乗用車が停まっている。よく見ると「大和ホテル」と書いた表札がかかっていた。しばらく行くと、今度は「敷島旅館」というのがあった。佐官級の軍属(軍人でなくて軍関係の用務をしている人に、軍人と同じような階級を付していた)の人達が出入りしていた。日本政府の行政官か、或いは軍協力の企業関係の人達であると思われる。あとで聞いた話であるが、ラングーン陥落後いち早く進攻して来たのは、若者衆を従えた久留米の翠光園という料理屋だったという。これは九州女性のいたいけな「からゆきさん」ではなく、軍高官達の「おそばめ」か、揺れる島田の女官達の粉黛の魅惑、ただそれだけの進攻であった。その翠光園が一番堂々たる建物で、将校達の出入りも多く大繁盛をしているようであった。あまり関係がないので、横目で眺めて素通りするだけであった。 |
証言者 | 古賀明男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 想い出の兵隊そしてビルマ雲南戦線 |
著者、公文書発信者など | 古賀明男 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.10.5 |
発行所 | 葦書房 |
ページ | 76-77 |
出典備考 | |
備考 | ヤンゴン管区にダゴン郡区がある。シュエダゴン・パゴダのある一画である。/翠香園に関する記述については以下参照のこと。参考資料:『ビルマ(ミャンマー)に残る性暴力の傷跡』(「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク編1998.1)の表紙に「将校クラブ「翠香園」」の写真が掲載され、「現在は退役軍人のための施設となっている」とのキャプションがつけられている。 |