出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | パゴー管区 パゴー県 パゴー郡区 |
資料にある地域情報 | ペグー |
慰安所があった時期 | 1945年1月 |
記載内容 | 広沢士官はピーの検診医官を兼ねていたが、「漬物のよいのがあるから、朝鮮料理を食べに行こう」というので、高山士官とともにいっしょに出かけた。一体どこかと思ったら、連れて行かれたのは、朝鮮人のところだった。家の真ん中が大きなホールになっていて、四囲に小さな部屋が並び、ピーの部屋になっている。・・・広東人より先に、朝鮮人の検診をしたとかで、広東人がストライキをしたりして困っていた。日本人より後になるのは仕方がないが、朝鮮人より後になるのは納得できないというプライドの問題だった。 |
証言者 | 三島四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | 第49師団第四野戦病院 |
資料タイトル | ビルマ戦線ピカピカ軍医メモ |
著者、公文書発信者など | 三島四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.7.28 |
発行所 | 元就出版社 |
ページ | 145-146 |
出典備考 | 本資料は単行本。光人社NF文庫から「ビルマ軍医戦記」改題で2005.4に刊行。 |
備考 | 証言の直後に「アメリカ軍はフィリピンのリンガエンに上陸」とあることから、1945年1月のことと推測した。 |