記載内容 | 昭和18年の元旦である。・・・招待されているのはペグー駐留の各団体長である。すなわち山砲連隊長、工兵連隊長、騎兵連隊長と司令部の佐官以上のである。中隊長たる私は大尉でも独立歩兵中隊長で団体長の中に入るのである。酒宴のサービス要員として、朝鮮の慰安娘子軍が動員されていた。・・・私は師団長の招宴からいつ、どうした帰ったのか。気がついたのは丸顔の朝鮮娘の膝枕で寝ている自分を発見したときである。・・・起こさぬようにこっそりと床を出た。中隊までは百メートルである。・・・昨夜の女は蘭子と云うのだそうである。「蘭子がヒステリーで手が付けられないからきてくれ」と言って動かない。仕方無く女とともに宿舎を出た。行って見ると女はご馳走を作って待っていた。・・・私はこの女の考えが理解に苦しむのである。女たちは朝鮮では貧しい暮らしをしていたはずである。金のため慰安婦としてここに来ている。早く金を貯めて朝鮮へ帰り幸福な結婚をするのが唯一の希望であると思う。しかるに夜の客も取らず私を待っている。私はこれが女のヒステリーで一時の気まぐれと思った。その夜も朝帰りとなった。・・・結局元旦よりここペグーを出発するまでの30日間、交渉があろうとなかろうと、それに関係なく、蘭子の部屋から出勤したのである。いとも自然に、そして公然と。 |