出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョウ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 受話器を取ると、某課長である。「粋香園に爆弾が落ち、防空壕が崩れて芸者数名が負傷したから、直ぐに軍医をよこしてくれ」というのである。前線では食うや食わずで、連日激戦をつづけているのに、一体、何を考えているのかと思ったが、家計を助けるために遊里に身を沈め、ビルマの地まで送られて来た身の上を思い、広島軍医に連絡して救助に行ってもらった。後で広島軍医はこんな経験ははじめてだと言って笑っていた。 |
証言者 | 後勝 |
証言者属性 | 日本軍兵士・参謀 |
部隊名 | ビルマ方面軍 |
資料タイトル | 戦場の「慰安婦」 拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡 |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.12.25 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 51 |
出典備考 | 後勝『ビルマ戦記』(光人社) |
備考 |
現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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