出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョー |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 市を貫通するラシオロード(中国雲南省に接する東端の街、ラシオに通ずる街道)沿いに市の東端近くまで行くと、広い十字路に出る。この十字路を南に折れると例のアングロ娘のいる軍酒保が小ぢんまりとした緑の前庭に囲まれて建っており、その向かいが私のとまった兵站宿舎である。そして、この十字路を反対に北に折れて約半町も行くと右側に広大なビルマ家屋を2軒占領して通称ピー屋、すなわち慰安所があり、この前を通り抜けてさらに進むと鉄道踏切であった。半年ほど前、私たちがメイミョー市にはじめて到着した日の夜、戦友のN君と一緒に軍酒保で痛飲しての帰途、前後不覚になって路上にぶったおれたのはこの辺であった。 |
証言者 | 大桶修義 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマ日記 |
著者、公文書発信者など | 大桶修義 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1973.6.15 |
発行所 | 中央公論事業出版 |
ページ | 146 |
出典備考 | |
備考 | ラシオロードはマンダレーからラシオへの道路 |