出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | シャン州 ラーショー県 ラーショー郡区 |
資料にある地域情報 | ラシオ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 兵站寄舎も現地人映画館も慰安所も木っ端微塵に破壊あるいは焼失した。援将ルート鉄道最終点のラシオは2年前の昭和17年4月29日、龍(56師北九州)によって占領され、龍は引きつづき敗敵を追って北上、緬支国境を越えて雲南省怒江(サルウィン河)の線まで進出した。ラシオは後方補給基地としてわが121兵站病院の本院も最初ここに開設され、戦勝の気分に溢れて将校専用のクラブ「粋香園」なども開かれた。庶務主任の坂田軍医大尉が当時こっそり内地に送った写真がある。ウラ若い大和撫子がお国のためとセックスを提供したのである。 |
証言者 | 興野義一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第56師団 |
資料タイトル | 一軍医の見たビルマ敗退戦 |
著者、公文書発信者など | 興野義一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.10.25 |
発行所 | 旺史社 |
ページ | 86-87 |
出典備考 | |
備考 | アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「ラシオ」がある。マンダレーの北東、中国への幹線道路の途中にある。現在の地図の同所もラシオLashioである。 |