出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | シャン州 ムセ県 ナンカン郡区 |
資料にある地域情報 | ナンカン |
慰安所があった時期 | 1944年10月下旬 |
記載内容 | 二、第二線兵団的存在としてのナンカン(南坎)駐留 7. 移動慰安所の開設 10月下旬の或る日白崎参謀長が来て、言い難くそうに“之れは御耳に入れる程の事ではありませんが”と前置きして、2週間位の予定で慰安所を開かせ度い、将兵は1年以上も女を見ていないし、幸い状況も今の処急迫していない様だから、この際フーコン以来のジメジメした将兵の気分を一新する為めにも良かろうと思う。丁度慰安婦の一隊が近所まで来ている、と云うのである。そうして各部隊に使用日を割当て、且つ将校と下士官以下とを区分して、悶着の起きない様に処置するとの事であった。・・・ナンカンの臨時慰安所は雲南方面から退って来たものか、ラシオから進出して来たものか、筆者はしらないが、開所間、別段部隊間の軋轢もなかったらしく、将兵間のイザコザについても何も聞かなかった。或る部隊長が“仲々綺麗なのがいましたよ”と笑ひながら語った姿を見ると、多少効果があったのかも知れない。素より気分の上の問題であって、短い期間に数千の将兵の希望が悉く満足された訳ではあるまい。警戒部隊其の他の大事な勤務をその事のみの為めに、わざわざ交代したとも考えられないからである。 |
証言者 | 中永太郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第18師団 |
資料タイトル | ビルマ作戦秘史 其の四 第五 大戦末期に於ける第十八師団[1] |
著者、公文書発信者など | 中永太郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1956.10.10 |
発行所 | 防衛庁防衛研究所戦史室 文庫委託42 |
ページ | 36-38 |
出典備考 | |
備考 | アジア歴史資料センター:C14060431200の題名は「第二「ラシオ」-「センウイ」-「ナンカン」道地区の掃討戦」である。この資料に地図はないが、この地名の並びから、日本軍がナンカンと呼んでいる場所がわかる。ナンカンは中国雲南省国境近くの現在のナムカムNamhkanである。 |