出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | ザガイン管区 モンユワ県 モンユワ郡区 |
資料にある地域情報 | モニワ |
慰安所があった時期 | 1943年5月 |
記載内容 | 10ヵ月にわたるシャン州アンパンの生活に別れをつげ、昭和18年5月次期作戦準備のため再度モニワ地区に移動駐留、引続き戦技訓練を行い英気を養った。このとき聯隊の各中隊対抗の銃剣術大会も行われた。部隊の集結を察知した敵はモニワに対し編隊爆撃を行った。・・・この爆撃で慰安所に被害があり数名の犠牲者が出た。非戦闘員で身を粉にして隊員の慰安につとめ、異郷の地に果てた彼女等も戦争の尊い犠牲者であり、共に冥福を祈るものである。 |
証言者 | 竹沢定男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第215聯隊第3中隊 |
資料タイトル | 歩兵第ニ一五聯隊第三中隊戦記 |
著者、公文書発信者など | 第3中隊戦記編纂委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1979.6.9 |
発行所 | 第3中隊戦記編纂委員会 |
ページ | 297 |
出典備考 | 竹沢定男「(22)モニワ大空襲」 |
備考 | 本資料の地図のモニワの位置は、アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「モンウ」とある。現在の地図の同所は、モンユワMonywaである。 |