証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報カチン州 ミッチーナー県 ミッチーナ郡区
資料にある地域情報ミッチナ バクシンロウ
慰安所があった時期1942年9月頃
記載内容1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴募するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。・・・彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡しされた金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。これらの女性およそ800人が、このようにして徴募され、1942年8月20日ごろ、「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。彼女たちは、8人ないし22人の集団でやって来た。彼女たちは、ここからビルマの諸地方に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。結局、これらの集団のうち4つがミッチナ付近に到着した。それらの集団は、キョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤであった。キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチナ駐屯部隊長の丸山大佐が、彼の名前に似た名称であることに異議を唱えたため、慰安婦たちが到着したさいに改称された。
証言者捕虜
証言者属性20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本の民間人
部隊名ミッチナ駐屯部隊
資料タイトル日本人捕虜尋問報告 第49号
著者、公文書発信者などアメリカ戦時情報局心理作戦班
公文書宛先
発行日1944.10.1
発行所
ページ
出典備考『従軍慰安婦資料集』吉見義明、1992.11.27、大月書店、439ページ/wam公文書サイト:K_US_OWI049
備考 捕虜になった朝鮮人慰安婦20名、日本の民間人2名への尋問の記録
テキストのコピーはできません。