出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | デルタ地帯の水路 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 第3中隊、林直上等兵(81)=写真=は、20年4月、清水靖少尉が指揮する大発3隻により、撤退部隊の重傷患者100人と慰安婦たちの救出に向かっている。「このままでは敵中に取り残される」「是が非でも拾ってこい」。そんな命令だった。以降、この清水小隊の消息は絶えた。小隊が向かったデルタ地帯の水路は、ことごとくを英軍艦艇によって封鎖されていた。やはりダメだったか、と誰もがあきらめかけていたところで、なんと約1ヶ月後の5月末、患者と慰安婦たち全員を収容し、ひょっこり戻ってきたから、部隊では「夢かとばかり」に驚いている。・・・ そのときだったか、同連隊兵器掛・多田富蔵曹長(84)=写真=は若い朝鮮人慰安婦のことを記憶している。ともかく間一髪のところで救出されてきた1人だったが、兵器掛の多田に向かって「私たちにも手榴弾を下さい。帝国日本の臣民として戦いたいのです」と申し出たことだ。「その健気さとひたむきさには感動めいたものを覚えましてねえ」 |
証言者 | 林直/多田富蔵 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第3中隊 |
資料タイトル | 生き残った兵士の証言 極限の戦場に生きた人間の真実 |
著者、公文書発信者など | 土井全二郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.9 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 197-198 |
出典備考 | 「我らは船舶工兵第十一連隊」 |
備考 |
撤退部隊の救出。慰安所のあった場所は不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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