出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | インパール作戦 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「フーン、あの生真面目な若い大隊長がねえ……。やっぱり大勢には抗すべくもなしか。大体、連公は怪しからんよ。作戦中は女を連れて岩穴にかくれ、移動となればあの大きな私物梱包を兵隊に担がせてさ……。インパール作戦の転進間だってそうだった。こちとらは毎日発熱で、おまけに食うや食わずの身体でフラフラになってやっと歩いてるというのに、その弱り切った兵隊に担架を吊らせやがってテメエとP助が乗り、お蔭で俺たちは何度死にそうになったことか!俺なんかまだ生きているからいいようなもんだが、あのため死んじまった可哀想な兵隊が何人いたかわからねえ。・・・」 「いや、そう言えばわしがいつも憤慨しよったのは移動のときや。軍旗のすぐ後ろを連隊長が歩くのは当然やが、気にいらんのはその連公の横に必ずP助のA子がえらそうな態度でくっついていることや。・・・」 戦争中「岩陰連隊長」という芳しからぬニックネームをつけられていたS大佐は、臆病なくせに鉄面皮で色欲旺盛な人だったようで、慰安所にいたA子という娼婦を独占し、状況の悪い作戦中もずっと連れ歩いて常に同棲していた事実は有名であり、また、連隊が移動するとき軍旗のすぐ後ろを歩いている連隊長の横に必ずA子がいたことも、私は第2野戦病院、第1野戦病院等他部隊にいたときにも見て知っていた。 |
証言者 | 別所源二 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | シンガポール南方軍総司令部付 |
資料タイトル | 青春と戦争 ある戦中派の手記 |
著者、公文書発信者など | 別所源二 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1980.10.8 |
発行所 | 光和堂 |
ページ | 381-383 |
出典備考 | インパール作戦の際に、連隊長が「慰安婦」を同行させたが、記述からは地域不明。 |
備考 | インパール作戦の際に、連隊長が「慰安婦」を同行させたが、記述からは地域不明。 |