出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「軍医どの、遠慮しないでくださいナ。飲みものや食べものでご不満でしたら慰安所のほうも私がやっているのですから、ウチのツケにして寄ってくださっても大丈夫ですョ!」せっかく出した酒も飲まずに帰るという私を引きとめて、こんなことを耳打ちする。そばでは市郎がニヤニヤしている。これには実のところ幻滅の悲哀を感じた。女神のような娘さんと、初めて母親になったおかみさん、それに気位も玉代も高い市郎くん、あわせて3人のやまとなでしこ達と、タダで(?)親しくなれたことだけでも、生死の北ビルマ戦から逃れてきた私には、何より大きな慰めであり、同僚たちからも幸福(?)を羨ましがられていたのだ。まして、憧憬の感情をさえ抱いている箱入り娘に対するメンツもある。今さら朝がお女性や色の黒い現地慰安婦のスレッ枯らしなど相手にして、そのツケを、事もあろうにこのウチにまわせるものか!そんなこともわからない朴念仁だから、自分の赤ん坊に淋菌の風眼をうつしたのだ、と口に出してはいわないが、内心では私もこの主人を見なおすようになった。・・・ それから2年ばかり経って、私たちが敗戦後バンコク郊外のキャンプで復員船を待ちこがれてたとき、思いがけなく、変わった姿の市郎くんに出逢った。かつて自慢の丸まげも、今はきまりわるげな断髪姿である。おまけに藍いろがかった特志看護婦の制服製帽だ。これは、日本から出動した慰安婦たちの復員(?)の便宜のため、いわば連合軍の目をごまかして俄か仕立ての看護婦に仮装したものであるが、同じ看護婦でも正規の日赤救護班の誇りを傷つけないように、制服の色なども区別したものだった。思いがけない姿の再会に、初めはこちらも戸惑ったが、だんだん聞いてみたら、T兵長がやられた日に、日の丸食堂も爆撃され、命びろいをしたのは市郎くん1人だったという。 |
証言者 | 桑島治三郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | メディカル・エッセイス 殉国の軍医大尉 |
著者、公文書発信者など | 桑島治三郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1974.1.20 |
発行所 | 日本医事新報社 |
ページ | 214-216 |
出典備考 | 注:「朝がお女性」とは朝鮮女性のことだろう。前半は、証言者が北ビルマ戦から逃れ、ある町の慰安所で3人の日本人慰安婦(その1人に市郎がいた)と親しくなったことを、また後半はその2年後にバンコク郊外で、特志看護婦の市郎と再会したことを証言している。慰安所の場所は不明。 |
備考 |