| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | 後方占領地区 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | もっとも、せっかくの貯金も敗戦でパアになったわけだが、それは後日のことで、当時こうした慰安所は戦火の及ばない安全な後方占領地区に設けられていたから、うまい物は食い放題の左ウチワで、笑いがとまらないほどの繁昌ぶりだった。客はその地区常勤の将兵と、あとくされのない通過部隊である。しかし、前線の方では、慰安婦のおかげに浴するどころではない……。これでは不公平だとでも考えたのか、巡回慰安所というものが考案された。・・・ 一、〇月〇日以降、10日間の予定をもって当地区に巡回慰安所を開設せらる。 一、その設営地は〇〇部隊本部の後方500メートルのジャングルとす。 一、慰安所使用の細目は追って通達す。・・・ 廓の設営隊はさっそく伐採と地馴らしにかかり、竹の柱に、簀の子張りの竹の床とアンペラ囲いで、椰子の葉っぱの屋根をかけ、ウナギの寝どこみたいな長屋をつくった。急場しのぎの特設慰安楼である。・・・ 当時この地区一帯の将兵は約4千人、これに対し配属の慰安婦は5名の10日だから、延べにして50名。すると1人1日あたり80名の受け持ち(?)という勘定になる。いかに商売でも、これでは残酷物語になる。 |
| 証言者 | 桑島治三郎 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | 簀 |
| 資料タイトル | メディカル・エッセイス 殉国の軍医大尉 |
| 著者、公文書発信者など | 桑島治三郎 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1974.1.20 |
| 発行所 | 日本医事新報社 |
| ページ | 236-242 |
| 出典備考 | 注:この記述の後に、主計少尉が計算したところ「1人あたりの時間は36分になる」と記している。具体的な慰安所の証言だが、地名は記載されていない。 |
| 備考 |