出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 茨城県 稲敷郡 美浦村 |
資料にある地域情報 | 稲敷郡安中村 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | トラックはまもなく山の中に入り、心配していると、湖畔におりて、鹿島海軍航空隊の隊門を入った。稲敷郡安中村ーさびしいところである。・・・ 12期の人が手わけをして、下宿をきめてくれた。私は鍋藤、吉田兵曹の下宿にお世話になることとなった。その夜、吉田兵曹が上海組を召集すると、みなについてこいという。・・・ 村のはずれの谷間に、3軒の慰安所があった。その吉田兵曹は、上海組に洗礼を受けさせるんだといって、いやに張りきっている。3軒を走りまわって女のつごうを聞き、わり当ててゆく。ところが、いざ上がってみると、ふすまは破れ、壁はおち、鏡台の鏡のないのがすえてある。なんとも殺風景であるが、航空隊だけの慰安所なので、手入れをする必要がないのだとかー。 |
証言者 | |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 鹿島海軍航空隊 |
資料タイトル | 殴り込み「彗星」艦爆野郎一代記 |
著者、公文書発信者など | 富樫春義ほか |
公文書宛先 | |
発行日 | 1990.11.30 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 221-222 |
出典備考 | |
備考 | 鹿島航空基地関連のサイトに掲載されている戦時中の地図を見ると、鹿島航空隊の位置は霞ヶ浦(湖)の南側の、突出した地域にあった。ここが当時の安中村である。現在は合併して美浦村である。現・美浦村は、戦後、木原村、安中村、船島村の一部が合併し、霞村を経て現在の美浦村になった。旧安中村は美浦村の東部分を占めることとなる。本資料の慰安所があったとされる「村のはずれの谷間」というのは現在の地図の美浦村のほぼ中央付近になる。 |