出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 鹿児島県 大島郡 喜界町 大字城久 |
資料にある地域情報 | 喜界島 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 福岡氏は「田村部隊は将兵の鋭気培養に着眼し……慰安所設備を喜界町当局に命じたるに埒明かず……(民間人の)N氏に命じ……」と記す。福岡氏は軍の命令を受けた5人の商人の名を具体的に記録している。商人たちは「直ちに古狗13名を大島本島より連行し来たり、滝川部落西南方約5百米地点(田村部隊本部隣)に仮舎を建設し慰安所を開設せり。」という。 |
証言者 | 福岡永彦 |
証言者属性 | 日本軍兵士・中隊長 |
部隊名 | 陸軍田村部隊、独立第17中隊 |
資料タイトル | ルリカケス 41号 |
著者、公文書発信者など | 大倉忠夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2008.11 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 福岡永彦著『太平洋戦争と喜界島』からの引用。 |
備考 | 奄美大島の東方に喜界島がある。喜界島の中央部に大字城久がある。本資料によると滝川部落西南方約5百米地点(田村部隊本部隣)に仮舎を建設し慰安所を開設したという。滝川部落は現在の地図の大字滝川のことであろう。その位置は城久の東隣である。慰安所を開設した滝川部落の西南方500mの位置をグーグルマップの航空写真で探すと、大字城久のエリアとなる。 |