出典種別 | 目撃証言
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現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 本部町 字伊野波 |
資料にある地域情報 | 伊野波 |
慰安所があった時期 | 1944年9月 |
記載内容 | 本部町伊野波では、八重岳入口の道沿いに慰安所が設置された。慰安所に接収された民家は他の家よりも一回り大きな家であった。家の住人はやむなく隣の家に間借りして暮らした。近所に住む渡久地昇永は、兵隊が列をつくって並んでいる情景を屋敷林の間からのぞき見たことがある。「毎週1回、部隊本部から軍医(将校)が馬に乗って同所を出入りする姿が見られた。」という。国民学校高等科1年だった玉城米夫は、1944年9月頃、「朝鮮ピー」と呼ばれる若いきれいな人たち12~13人が、週末に軍用トラックで慰安所に運ばれてくるのを目撃している。なお、戦後まもなく慰安所があった場所に、本部第2初等学校が開校した。慰安所の便所の跡を掃除していた玉城少年は、女の先生を呼んできて「いっぱい風船があるよ」と知らせた。それは変色し、破れたり膨らんだりしたサックだった。先生は慌てて「早く掃除をしなさい」と叱った。 |
証言者 | 玉城米夫 |
証言者属性 | 国民学校高等科1年 |
部隊名 | |
資料タイトル | 沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(2) |
著者、公文書発信者など | 古賀徳子 |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | |
ページ | 66 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊 戦争責任研究 第61号』2008秋季号 66ページ |
備考 |
前半は、渡久地昇永の沖縄タイムズの記事を引用、後半は、2007.10.6に本部町立博物館で古賀徳子とホン・ユンシンが行なったインタビュー
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