出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 本部町 字並里 |
資料にある地域情報 | 芭蕉敷附近 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 芭蕉敷附近には陣地、軍需物資を入れる防空壕が沢山あり、色々な部隊が散在してました。平山大砲部隊(隊長平山大尉)志垣隊、機関重敵弾頭部隊(隊長志垣中尉)、大嘉陽に佐藤部隊(佐藤少佐)、宇土部隊(連隊長宇土大佐)、通信隊(電波探知機あり)、村上護郷隊(村上大尉)、陸軍病院などに兵隊約千名(推定)が駐屯していたと思われます。附近の住民の家も使用され、私の家も慰安所に使用され庭先の空地や芭蕉畑に3棟が新たに建てられ、9名の慰安婦がいて沢山の兵隊が出入りする様になりました。 |
証言者 | 饒平名知寛 |
証言者属性 | |
部隊名 | 独立混成第44旅団第2歩兵隊第2大隊 |
資料タイトル | 八重岳・ふるさと 芭蕉敷記念誌 |
著者、公文書発信者など | 八重岳・ふるさと芭蕉敷記念誌編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.4 |
発行所 | 八重岳・ふるさと芭蕉敷記念誌編集委員会 |
ページ | 195-196 |
出典備考 | |
備考 | 満名川の南側を走る道路「名護本部線」から八重岳桜の森公園へと南に下る道路をたどって行くと、大きく右カーブする箇所があるが、そのカーブを左折(一部廃道となっている)した先に饒平名知幸の旧屋敷がある。ここが慰安所として接収された。行政区画上は、並里の南部である。 |