記載内容 | さて、私はその頃13才くらいであったが、沖縄本部半島に駐屯していた日本軍の宇土部隊に、雑用係として使われていた。この宇土部隊にももちろん慰安所があり、どこも同じだと思うが、この慰安所は、掘立小屋に、下は土間のまま、寝台というか、木の粗末な台が置かれ、その上に慰安婦が横たわっているというだけの単純な施設であった。入り口は戸もなく、ぴらぴらのカーテンが一つたれさがり、そのすぐ外に、兵たちが何十人と列を作り、手に手に「突撃一番」を握りしめて、己れの順番を待っていた。「早くしろ!まだかあ!まだかあ!」とてんでに罵声をはりあげ、眼は血走り、足踏みしたりして落ちつかず、順番ははるか先であるのに、もうはやばやとバンドを解いて、身をぶるぶる震わせている兵もいた。たいていの者は、2,30秒で事を済ませて、待っていた時とはうって変ったぼうっとした顔で次々と交代して出ていくのだが、中には5分もかかる者もいた。そういう手合は、必ずいる監視役の古参兵が襟首を摑み、ひきずり降ろして外へ放りだしていた。・・・これら「突撃一番」の標的となっていた慰安婦の殆どは、私の知る限りにおいて、「朝鮮ピィ」と呼ばれていた、朝鮮の女性たちであった。 |