出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 浦添市 字経塚 |
資料にある地域情報 | 経塚 |
慰安所があった時期 | 1944年10月末 |
記載内容 | 中国大陸で転戦して満期除隊となり帰国してきた大田朝英さん(明39.10.22 経塚出身)は、昭和19年夏、役場で疎開係をしていた。妻子を九州へ疎開させて、老父母と3名で生活していた所へ、日本軍が大田家を使用すると通告して、すぐ立退きを命じた。ところが家を明け渡してから慰安所として使用することを知った。だが、大田さんは中国大陸で、慰安所が果たして来た役割を熟知していたので、村の婦女子を兵隊から守らねばならないということで、止むを得ないと思った。そして、《佐久川小》の馬小屋にムシロを敷き、そこで老父母と3名が寝起きすることになった。 「当時、戦争にかつためには何でも軍のいうがままですから、すぐ出ていきなさいといわれて、出たら慰安所に使用されたのです。10月末ごろだったと思います。というのは二カ月ぐらいたった正月には83歳の父が亡くなりましたので。・・・」 このように民家を慰安所にしていた日本軍は、各慰安所を見晴亭、軍人会館、観月亭などと称していた。 |
証言者 | 大田朝英 |
証言者属性 | 地元住民、自宅を慰安所にされた |
部隊名 | |
資料タイトル | 浦添市史 第五巻 資料編4 戦争体験記録 |
著者、公文書発信者など | 浦添市史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1984.3.31 |
発行所 | 浦添市教育委員会 |
ページ | 16-17 |
出典備考 | |
備考 | 浦添市は、沖縄本島の南部地域と中部地域の境目に位置する。那覇市の北東にある。浦添市の南側に経塚がある。 |