出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 玉城字仲村渠 |
資料にある地域情報 | 仁王山入端、アラティー壕 |
慰安所があった時期 | 1945年 |
記載内容 | 1945年(昭和20)3月23日、私達は玉城国民学校高等科2年の卒業式の日を迎えていた。その日は彼岸の日でもあり、母は朝早く餅を蒸し終わり、私は登校準備をしている時だった。突然、空襲警報のサイレンが鳴り響いた。我々は餅や黒砂糖、その他の非常用の食糧を担ぎ、急いでアラティー壕の入口近くへと避難した。アラティー壕には既に仁王山入端から慰安所が移っていた。 |
証言者 | 山入端宏正 |
証言者属性 | 地元住民、当時15歳 |
部隊名 | |
資料タイトル | 玉城村史 第6巻 戦時記録編 |
著者、公文書発信者など | 玉城村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.3.31 |
発行所 | 玉城村役場 |
ページ | 293-310, 93-96 |
出典備考 | 山入端宏正「生と死の分かれ目を体験した」 |
備考 | 南城市は、沖縄本島南部の都市である。南城市の海岸沿いに玉城字仲村渠がある。 |