出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 座間味村 阿真 |
資料にある地域情報 | 阿真の島村渠とカニタ |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | 11月も半ば頃、阿真に日本軍の船舶兵100人あまりが上陸したため、兵隊たちが3個中隊に編成され、慶留間のアカムティの第1中隊、真謝の海岸の第2中隊、そして西浜の第3中隊として配置された。 またちょうどその頃、座間味島と阿嘉島にそれぞれ7人ずつの「朝鮮人慰安婦」が送られ、彼女たちの宿泊先および”仕事場”として、阿真の島村渠とカニタ、それに、阿嘉のユナンミ小とアガイミーヤが割り当てられた。家族は屋敷の離れに追い出されたわけである。彼女たちは、当時日本の植民地であった朝鮮の若い娘たちで、”女子挺身隊”の名でいわばだまされたかたちで日本に連行され、日本兵の性的相手をさせられた人たちであった。座間味村では「朝鮮ピー」とか「ピーヤ」と呼ばれ、住民たちとの交流は全くといっていいほどなかった。・・・ 2月も中旬にさしかかった頃、沖縄守備の日本陸軍部隊・第32軍の戦闘指針として「一機一艦船、一艇一船、一人十殺一戦車」というキャッチフレーズが軍民に示達された。・・・この基地大隊の移動に伴って、屋嘉比島で働いていた本土人や村外出身者の一部は、ただならぬ島の雰囲気に身の危険を感じて、軍の船に便乗し、また阿嘉に配置されていた朝鮮人の「従軍慰安婦」7人も軍とともに島を離れていった。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 座間味村史 上巻 |
著者、公文書発信者など | 座間味村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.7.10 |
発行所 | 座間味村役場 |
ページ | 341, 343 |
出典備考 | |
備考 | 那覇市の西方海上に慶良間諸島がある。慶良間諸島のひとつに座間味島がある。座間味島の西側が阿真である。 |