出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 豊見城市 字長堂 |
資料にある地域情報 | 長堂 農業訓練所 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 農業訓練所の正面に住んでいた又吉浩によると、通りを入ってから正門までの道路には玉砂利が敷かれ、将校がサイドカーなどに乗って次々とやってきた。兵士たちは整列して将校の出迎えを行っていた。サイドカーに立ててある旗をみると、全員尉官以上の上級将校であったという。 |
証言者 | 又吉浩 |
証言者属性 | 地元住民 |
部隊名 | |
資料タイトル | 沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(3) |
著者、公文書発信者など | 古賀徳子 |
公文書宛先 | |
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出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊 戦争責任研究 第62号』2008冬季号 30ページ/2007.10.4古賀徳子聞き取り |
備考 | 現在の地図の豊見城市の東端に長堂がある。現在の地図の長堂の東側に「沖縄県立南部農林高等学校」があるが、ここが証言の南部農林学校である。当時、ここに官舎か工場があって慰安所として使われた。「今昔マップ on the web」の長堂の地図(1919年)の同所には工場マークがみられる。 |