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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 糸満市 字糸満
資料にある地域情報糸満 石川旅館、国吉旅館、糸満旅館
慰安所があった時期1944年夏
記載内容上原の家は親戚のKの家の向かいで、あそこはその時台湾へ疎開していたさあ。みんな辻の女で、閉め切って暑いでしょう、よく窓を開けて、こんなしてね、着物に風を通していたよ。そこの主人は、ほら、Mおばさんて、知らないね。前に辻にいた人だった。女は6、7人くらいだったけど、戦争なっていつのまにか、いなくなっていたよ。兵隊が日曜になると、ずーっと並んで、暑いから上は裸で。とてもいやだったさ。サックというか、あれがこのへんに散らかってきたなかったよ。外にも、石川旅館、国吉旅館、糸満旅館があって、やはり兵隊たちが並んでいたよ。女をおいて、サカヤーだったよ。
慰安所分布表
市町村名:糸満市 字名:糸満 建物:石川旅館、国吉旅館 期間:S19夏~ 慰安婦・人数:7,8人 慰安婦・出身地:沖縄 営業形態:旅館 軍隊名:武部隊、山部隊 証言者・氏名:上原初枝、新城ウト 証言者・出典:直接取材、『島尻郡誌』 備考:ー
市町村名:糸満市 字名:糸満 建物:糸満旅館 期間:S19夏~ 慰安婦・人数:1238人 慰安婦・出身地:沖縄 営業形態:旅館 軍隊名:武部隊、山部隊 証言者・氏名:上原初江、新城ウト 証言者・出典:直接取材、『島尻郡誌』 備考:ー
証言者新城ウト
証言者属性地元住民
部隊名第九師団
資料タイトル第5回全国女性史研究交流のつどい報告集
著者、公文書発信者など賀数かつ子 
公文書宛先
発行日1994.8.24
発行所全国女性史研究交流のつどい実行委員会
ページ23, 30
出典備考
備考 沖縄本島制南端に糸満市がある。糸満市の北よりの西海岸沿いに字糸満がある。糸満市のホームページには、1945年頃の屋号地図が掲載されている。その「旧字糸満町の歴史民俗街歩き地図3」には「640 国吉旅館」、「633 石川旅館」、「1375 糸満旅館」が掲載され、現在の地図との対比でその位置が確認できる。古賀徳子「沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(3)」(季刊『戦争責任研究』第62号)には「上間幸弘によると、1号から5号までの慰安所があり、1号慰安所は現在の糸満文化会館の坂を上がったところに、5号慰安所は当時の糸満郵便局(郵便局長宅)にあった。1号慰安所の入口には40~50人もの兵隊が一列に並んでいたという。新城ウトによると、「1号慰安所」は、持ち主が台湾に疎開し、留守にしていた家であった。ジュリの抱え主とジュリが6~7人いて、窓を開けて風を入れる姿が見えることあった。2号~4号慰安所は石川旅館、国吉旅館、糸満旅館が使用された」とある。1号慰安所の詳細な位置は不明である。上間の証言(a-4452参照)で「国吉旅館とかは3,4」号慰安所というのは、国吉旅館などの旅館は3,4号慰安所という意味で、国吉旅館と糸満旅館のことと考えられ、2号慰安所が石川旅館とすれば、古賀が言うように2~4号が3つの旅館ということになる。さて、5号慰安所については、上間は「現在の糸満郵便局の所」と述べているが、古賀は上記論文で当時のとしている。この点は不明である。
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