出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 平良下里 |
資料にある地域情報 | 下里の砂川家 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 1946年11月ごろ、平良市にある砂川明芳さんの隣りの新里さん宅に1人の朝鮮人慰安婦が間借りしていた。小さな家だが彼女以外の世帯者も部屋を別にして借家住いをしていた。彼女は色白で”スラッ”とした善良な感じの人であった。たどたどしい日本語をつかっていた。日本軍の慰安所につとめていたとき、病気を移され、頭がおかしくなっていた。しかし狂人のかっこうでなく、まわりの人がそういっていた。そのころみんなが食糧に困っていた。彼女は下里市場の裏通りをしょっちゅう歩きまわっていた。正常でなく食べ物が欲しかったのかも知れない。1947年には彼女以外誰もいなかった。戦時中には砂川さんの家も慰安所に使われていた。空襲にあいながらも砂川さんの家は残っていた。カワラ葺きの大きな家屋で、場所は平良市の中心部の下里で、家の東側が慰安所として使用された。砂川さんが昭和20年12月、軍隊から帰郷したころ、すでにその慰安婦たちはいなかった。 |
証言者 | 砂川明芳 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 哀号・朝鮮人の沖縄戦 |
著者、公文書発信者など | 福地曠昭 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.6.1 |
発行所 | 月刊沖縄社 |
ページ | 286-287 |
出典備考 | |
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