出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 上野野原 |
資料にある地域情報 | 野原 長屋 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 戦争体験記に書いてあるけど、私は、この目で慰安婦を見た。宮古の人は「朝鮮ピー」と言って、慰安所のことは「朝鮮ピー屋」と言っていた。朝鮮人は、唐辛子をすぐ食べるの。びっくりしたの。辛くないの。1人ではなく、2人、3人で歩いた。たまたま民家にも来りしたわけ。長屋は南北に長く作ってあった。茅葺きで長く。兵隊がずらっと並んでいるのも見た。「大変ね。朝鮮ピーたちは。可哀相だね」と話していたよ。普通の服をつけていたよ。与那覇博敏の家もすぐ私の家もすぐ隣だよ。本当に兵隊たちも、これは戦争が始まる前の昭和19年くらいだった。慰安所は私の家から前方、「カヤヤー」だった。長く作ってあった。・・・ 数えたことはないけど女性たちはいっぱいいた。見ただけでも20人はいたんじゃないかな。年は私みたいな若い人だった。私は19歳で、朝鮮の女性たちは20歳前後だった。周りの人々もみな「朝鮮ピー」だと見て全部分かるさ。結婚も考える年だったから直感的に何をしているところか分かったよ。彼女たちがどのようにして来たのかは分からなかった。 |
証言者 | 久貝シゲ |
証言者属性 | 地元住民 当時19歳 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」 |
著者、公文書発信者など | 日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2009.9.6 |
発行所 | なんよう文庫 |
ページ | 76-84, 86, 89 |
出典備考 | |
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