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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報沖縄県 八重山郡 竹富町 字小浜
資料にある地域情報小浜島
慰安所があった時期1945年6月末
記載内容慰安施設
6月の末、基地から離れた草原の中に、慰安施設が設置された。施設は5部屋で、1室の面積は2坪、女性は4人で、韓国人3人、日本人1人で、年令は25歳から30歳位でどんな事情で小浜島へ来たのか不明である。海軍は、平時の外出許可を右舷、左舷に分け、1日置きに与えた。外出時間は午後5時から翌日の8時までとしていたが、戦時下の小浜島では宿泊は認めず、帰営時間を午後9時としていた。慰安施設の設置理由は、隊員の鋭気を養い士気の昂揚を図るなど、よくわからない理由であった。慰安施設に対する意識は、独身、妻帯者、隊員の年齢に深く関係があり、それぞれ異なった感情を持っていたようである。私たち特攻隊員は、いずれ死ぬ身であり、清く散りたいと思う兵士と、死ぬ身なら人生のすべてを知っておきたいと思う兵士の、二派に分かれた。前者は3割、後者は6割でその他の隊員は通所する者が多かったようである。設置の善悪は別として、性に執着する者は慰安施設へその他の者は部落へと足を運んだようで、結果的に隊員規律保持には役立ったともいえる。
証言者佐々木信治
証言者属性元日本兵、第二六震洋引野部隊
部隊名船浮要塞(後に重砲兵第8連隊へと改称)
資料タイトル竹富町史 第十二巻 資料編 戦争体験記録
著者、公文書発信者など竹富町史編集委員会 町史編集室
公文書宛先
発行日1996.3.31
発行所竹富町役場
ページ262-263
出典備考佐々木信治「第二六震洋引野部隊戦記」
備考 西表島の東に小浜島がある。小浜島は行政区画上は、竹富町小浜である。
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