出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 江蘇省 南京市 浦口区 |
資料にある地域情報 | 浦口 |
慰安所があった時期 | 1937年12月 |
記載内容 | 慰安所は早くからありましたで。男は最初行くのが女の子のいる所で、下関には2か所、城内にも10か12か所あったでね。対岸の浦口にも慰安所が3、4か所ありました。女の子を世話してくれる所がなかったら、もっと暴行がひどかったやろ。下関の慰安所には朝鮮の人が多かった。中国人も12,3から25,6歳位までの人がいました。中国人は中国人の子ばかりの建物、朝鮮人は朝鮮人の建物に集めてました。南京城内でも日本人の女性がいる慰安所は1か所ぐらいでしたで。日本では売れない40代の小母さんの女の人が、何人かいたようです。慰安所の女の人をピーと呼んでました。町の裏通りに入ったら、軍の許可を取ってない闇の慰安所がたくさんあってね。裏通りで立っている女の子はだいたいそんな商売淫売やった。日本人が女の子5人位連れてって闇で商売していた。サック持ってればいいけど、そのまますると、料金は安いけど強烈な淋病などの病気にかかりやすく、危険でしたな。軍の管理する慰安所では、入り口で札を買って自分の好みの子を呼んで、その子に札を渡して遊んできた。料金は1円50銭位で高かったな。日曜ごとに女の子を買いに行ったらすぐお金がなくなる。日本の男は女の子が好きやな。一番先覚えるのが淫売や女郎屋や。 |
証言者 | 坂田貞一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 南京第2碇泊所司令部 |
資料タイトル | 南京戦ー閉ざされた記憶を尋ねてー元兵士102人の証言 |
著者、公文書発信者など | 松岡環 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.8.15 |
発行所 | 社会評論社 |
ページ | 308-309 |
出典備考 | |
備考 |
50万分の1の地図の南京に、揚子江岸沿いに下関がある。下関の西、揚子江を挟んだ対岸が浦口である。現在の地図で浦口を見ると浦口区の中心地である。テキサス大学図書館公開の中国地図・南京(シリーズL500、1954~)に「浦口」がある。地図の左端下部「5-5」にある。現在の地図の同所は「南京市浦口区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・南京は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni50-16.jpg |