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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報江蘇省 南京市 秦淮区
資料にある地域情報南京市福安里5号
慰安所があった時期1938年春
記載内容中山陵の公園内にある食堂で遅めの昼食をすませ、南京市福安里5号にある日本軍慰安所・松下富貴楼跡に向かう。かつての慰安所建物は現在民間アパートとして利用されていて、大家さんが待っていてくれるとのことだ。中山陵から30分ほどで、長白街と常府街が交差する細柳巷福安里5号の交差点に到着する。・・・その福安里5号交差点の南西角の長白街沿いにちょっとした緑地がある。芝生で覆われる公園のような緑地で、敷地の西側端に壁を作るように、2メートルか3メートルくらいの高さの樹木が1列か2列で植え込まれている。・・・その緑地の西側に、緑地の植え込みに接するように、瓦屋根の平屋の建物が2棟建っている。これがかつての慰安所だった建物だ。福安里5号交差点の周辺はにぎやかな繁華街で、背の高い現代風の建物がずらりと建ち並んでいる。その街中にあっては、緑地と昔ながらの古い民家という感じの平屋の慰安所建物がある一角は、近代化の流れから取り残された別の世界という印象を受ける。・・・
1937年12月に南京が陥落したあと、次の年の1938年の春に、松下という名の日本人がこの建物を慰安所に仕立てて経営した。慰安所の名称は松下富貴楼という。慰安所建物は4棟あり、そのうち2棟は2階建てだ。全部で24の個室があり、24人の「慰安婦」が同時に働かされていた。松下富貴楼には正面と北側に門があり、日本人は北側の門から慰安所に出入りしていた。当時4棟あった慰安所の建物のうち2階建ての2棟は現在の大通りにあったので、1992年の道路整備工事で取り壊された。だから、今は2棟だけが残っている。また、慰安所の従業員が住んでいた建物も既に取り壊されている。
証言者李邦華
証言者属性地元住民・当時11歳
部隊名
資料タイトル日本の中国侵略の現場を歩く―撫順・南京・ソ満国境の旅
著者、公文書発信者など青木茂
公文書宛先
発行日2015.7.15
発行所花伝社
ページ112-117
出典備考注:前半が著者青木が慰安所を訪問した時の様子。後半が、当時の様子を知る李邦華の証言。この慰安所については、都市計画により撤去の予定であったが、南京に40以上あった慰安所をひとつくらいは保存すべきだという歴史学者や研究者の働きかけと大家さんの必至の反対で撤去工事は中止になった。現在は慰安所の建物を残すことになったという。
備考 グーグルマップの航空写真を見ると、長白街と常府街の交差点の西南角付近に、確かに2軒の瓦屋根の家が見える。慰安所の位置が確定できる。
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