出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝県 茶山河 |
資料にある地域情報 | 茶山河 |
慰安所があった時期 | 1944年6月 |
記載内容 | 茶山河の集落は周囲を山に囲まれた小さな盆地の中にあった。牛島工兵隊が造った自動車道はここが終点で、騰越から猪瀬大隊に送られてくる弾薬、糧秣は茶山河を基地として、ここからピモー、空査河の前線へ送っていた。そのために茶山河には大隊の大小行李班、及び師団行李の中島満男伍長以下9名の輸送班が常駐していた。・・・猪瀬大隊長は、各隊長を集めて「栗山第1中隊長は、将校を長とする2個分隊をもって1軒屋を夜襲し、成功すれば大隊は明払暁茶山河を出発、固東街へ前進する。各隊は戦闘態勢で出発準備を 完了して待機ずべし」と命じた。・・・昨夜まで包囲態勢をとっていた敵は、不思議にも何処かへ消えてしまったらしい。猪瀬大尉は第1中隊を尖兵中隊、続いて第1機関銃中隊、大隊本部、大隊砲小隊、工兵隊、行李(この隊列に慰安婦5,6人が軍服を着せられ荷物を担いで加わっていた)野戦病院、第3中隊は後衛となり、全員戦闘態勢で周囲の山に気を配りつつ前進、住み慣れた集落を何度も振り返りながら名残を惜しんだ。 |
証言者 | 田中豊 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマ戦線崩壊の真相(前編) |
著者、公文書発信者など | 田中豊 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2008.7 |
発行所 | 私家版(神戸市) |
ページ | 330, 359 |
出典備考 | |
備考 | p330の「茶山河付近要図」に「慰安所」記載あり。 |