出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 勐連村 |
資料にある地域情報 | 孟連 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | ある日、楊は、慰安所で使う水を運んだりゴミを捨てたりする雑役の仕事をしていた2人の中国人から興味深い話を聞かされた。「ゴミの中に面白いものが捨ててあるんだ。コンドームとかメーシンコウとかね」「メーシンコウ?」「迷腥膏の空箱だよ。赤い色の塗り薬だ」それが性病の治療薬であることを楊が知ったのは後のことだという。 慰安所の一階の奥の部屋に朝鮮人夫婦が住み込み、「慰安婦」の世話をしていた。妻は朝鮮の服を着ており、夫は背広を着ていた。「慰安婦威」たちがいた2階の部屋はべニア板で小さく仕切られており、それぞれの部屋に1人ずつ「慰安婦」が入れられていたという。若い楊には見慣れない和服やワンピースを着た女性たちの姿は印象的だった。楊は慰安所にいた女性たちが「たけ子」「はな子」「しゅう子」「けい子」「めい子」といった名前で呼ばれていたことも覚えていた。 慰安所から少し離れた畑の中に、現在も村人が利用している温泉がある。・・・早見もこの温泉を使った1人だった。「温泉を掘ったのは先遣部隊の人たちですわ。当時は岩風呂でしてね。いつでしたが、我々が温泉に入っていた時に突然、慰安婦たちが来たんです。私たちも入れてくれって。14,5人いて、びっくりしましたねえ。・・・彼女たちはトラックで冷水溝かキョウトウ街の慰安所に行く途中だったようです。・・・」 |
証言者 | 楊太萃/早見正則 |
証言者属性 | 当時17歳。部隊の雑役/日本軍兵士 |
部隊名 | 騰越守備隊 |
資料タイトル | 戦場の「慰安婦」 拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡 |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.12.25 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 166-168 |
出典備考 | |
備考 | 雲南省には孟連傣族拉祜族佤族自治県が存在するが、同書のp164には「龍陵から車で北西へ30分ほど行くと、騰越の少し手前に孟連の村がある」とある。騰越市の行政区画内にある「勐連」をこの証言の村として採用した。 |