| 出典種別 | その他 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | 北満 |
| 慰安所があった時期 | 1941年7月 |
| 記載内容 | 原善四郎参謀が兵隊の欲求度、持ち金、女性の能力等を綿密に計算して、飛行機で朝鮮に出かけ、約1万(予定は2万)の朝鮮女性をかき集めて北満の広野に送り、施設を特設して“営業”させた、という一幕もあった。関東軍は、いまだかつてないほどに膨張した。わずか2個師団、やや遅れて駐劄1個師団と独立守備隊6個大隊しか持たなかった関東軍は、満州建国以来しだいに膨張をかさね、「関特演」を機会に全盛を迎えた。そしてあわや“北向きの軍隊”としての性能を全面的にテストされようとして、土壇場で中止された。 |
| 証言者 | |
| 証言者属性 | |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 関東軍 在満陸軍の独走 |
| 著者、公文書発信者など | 島田俊彦 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2005.6.10 |
| 発行所 | 講談社学術文庫 |
| ページ | 222-223 |
| 出典備考 | 本書の原本は1965.10、中央公論社より刊行 |
| 備考 |