出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | 1945年1月 |
記載内容 | 昭和20年の1,2月には、すでに主力部隊は興安嶺へ移動して、残っている兵隊は少なかった。ある時、外出者を募ったところ所定の数まで集らなかった。そのため、北村上等兵が久しぶりに外出することとなったのだ。彼は初年兵にいろいろと気を配って外出していった。その日、彼はたまたま出会った仲間の古兵と共に慰安所(遊廓)へ赴いたのである。軍は各部隊ごとに外出日を決めて、慰安中隊の女性のところが込み合わないように日割りをしていた。ところが、このころには兵隊も少なくなったので自由が利いていた。また、これを取り締まる憲兵も少なくなっていた。慰安所で、親切な北村上等兵は一時相手の女性に軍の外套を貸した。女性は彼の軍服を着て買い物に走ったのだが、運悪く憲兵に捕まってしまった。大変なことになったのは、北村上等兵である。官給品を慰安所の女に貸与したということで、この優秀な上等兵は処罰の対象になった。7日間の営倉送りとなり、その上、目前だった兵長への進級も延期となってしまった。 |
証言者 | 中内冨富太郎 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 残酷史 |
著者、公文書発信者など | 中内富太郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.9.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 420-421 |
出典備考 | 主力は興安嶺へ、或いは南方へ転戦。外套が貸与されていたから寒い地域であった。満洲か中国北部か。 |
備考 |