出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 河南作戦 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 当時18歳ぐらいで大尉に似て大柄で色白の美人であったが、今見るその姿は、日灼けして少々やつれてはいたが元気で、中国服がすっかり身につき、日本人にはみえないぐらいの変わりようである。「兄や父がいないなら何も言うことはありません。内地に帰る気はありませんので、この人と中国で暮らします」と、傍らの中国青年を見返るのであった。それでもポツリポツリと話すのを総合すると、邯鄲の近くで襲撃にあい、他の日本人や朝鮮の女たちと10数人が連行され、彼らの性欲の対象として弄ばれ、各地を転戦中同行の男性に助けられたという。彼女のあちこちに、黒子のような入墨がある。それは男が性を強要し、自己の存在を犠牲者に印した言語に絶する汚点なのである。今、彼女は親兄弟を忘れ、日本を捨て、自分が日本人であることを捨て、この中国で生きてゆくという。・・・ 更には軍属という名のもとに、慰安婦として徴用した多くの朝鮮女性も又、戦争の犠牲者ではなかろうか。私自身でさえ、可南作戦のさなか、紫斑病で死んだ韓国人慰安婦を、黄河の堤防上で荼毘に付した経験がある。 |
証言者 | 荒木虎雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 北支逃避行 一特務機関員の敗戦二百日 |
著者、公文書発信者など | 荒木虎雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1982.7.15 |
発行所 | 鉱脈社 |
ページ | 80, 81 |
出典備考 | 『季刊戦争責任研究 第3号』 日本の戦争責任資料センター 1994春 |
備考 |