出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 何日目のときだったろう。多分初回だったと思うが、入浴外出があった日の夜、わたしとA、Cの3人が支那酒を飲んだ。AかCのどちらかが、「ピー屋に行こう」と言った。ピー屋とは兵隊用語で“特殊慰安所”のことである。寄ったわたしは好奇心をそそられ、よし行こうと賛成した。・・・ 車夫たちは、それまでも幾度か将校を乗せたことがあったとみえ、いや、夜のピー屋通いに洋車を使うのは将校しかなかったからだろう、わたしたちを”将校慰安所”におろしてくれたのである。それとは知らないわたしたちは、2台に1円を与えてから、悠々と中に入っていった。車賃の1円は、彼らのきめで支払ったのではなく、こちらの都合で与えたのである。階下のホールには人影もなく、2階から嬌声が聞こえた。階下の部屋の一つにドアを開けてはいると、日本の着物をつけた女が1人いた。「あんたたち、なんなの……」これが疑いもない日本の女の口を衝いて出た最初の言葉だった。・・・ 間もなく”兵用慰安所”が見つかり3人は入った。ホールには支那服姿の姑娘が2,30人はいたように見えた。わたしにはそれが、市場で買い手を待つ兎のように思えたが、生まれて初めて見る女の壮観であった。白い顔、顔、顔が重なり合って、いっせいにわたしの目に迫った。 |
証言者 | 植村鶴吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 湖北省侵攻記 陽羅から龍仙舗まで |
著者、公文書発信者など | 植村鶴吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2005.12.8 |
発行所 | 湖北省侵攻記刊行委員会 |
ページ | 21-26 |
出典備考 | 注:この証言は「南京上陸」の項に記されている。南京であろうか。 |
備考 |