| 出典種別 | 目撃証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | 不明 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 酒に酔ったアメリカ兵が、便所の行く軍属の奥さんを、自分達の部屋に引き入れたのである。そのため通路の近くは、ずっと男の人が坐り、女は男物の帽子で髪の毛をかくし、男物のオーバーの衿をたてて真中に集った。用便もオーバーの中にバケツをかくし入れて、それにした。通路には真赤な顔をしたアメリカ兵が、物色するような目で、固まっている女達を見ているようだった。私達は生きた気持ちもなくふるえていた。連れこまれた奥さんを返してくれるように交渉に行った人達は、ではその代りの女を出せとのアメリカ兵の返事を持って来た。・・・ その時、軍の慰安婦とよばれる人達がその役目をすゝんで引き受けると申出たのである。この4ヶ月間その人達が私達と起居を共にしていた事は全然知らなかった。ひっそりと私達の後から従って来たこの人達は、私達の屈辱の身代りになるため表面に出て来たのである。 |
| 証言者 | 与田福子 |
| 証言者属性 | |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 戦後50年 引き揚げを憶う アジアの友好を平和を求めて |
| 著者、公文書発信者など | 「引揚げ港・博多を考える集い」編集委員会 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1995年5月発行 |
| 発行所 | 引揚げ港・博多を考える集い |
| ページ | 49 |
| 出典備考 | 与田福子「或る引揚げ船」 |
| 備考 | 米軍による性暴力。日本軍の慰安所のあった地点は不明 |