| 出典種別 | 目撃証言
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| 現在の地域情報 | マヌファヒ県 |
| 資料にある地域情報 | バブル |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | バブル村には慰安所が3つありました。私はそのうちのひとつの慰安所の警備長でした。慰安所には担当の軍人が毎日やってきて、「女たちを清潔にしろ」と命令します。・・・1日の終わりには、女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームが散乱しました。・・・寝台の間にしきりはありませんでした。女性たちへの報酬はなく、食事も服も支給されませんでした。食料は親が運んだり女性たちが家まで取りに行ったり。だからといって逃げられませんでした。・・・逃げきれないことも知っていましたから。 |
| 証言者 | ガブリエル・ラランジェイラ |
| 証言者属性 | 東ティモール住民 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | wam第4回特別展カタログ『東ティモール・戦争を生きぬいた女たち~日本軍とインドネシア支配の下で』 |
| 著者、公文書発信者など | アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)編 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2007.3 |
| 発行所 | アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館 |
| ページ | 15 |
| 出典備考 | 聞き取り調査は、HAK/東ティモール全国協議会によるもの |
| 備考 |
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