出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | チューク州 ファイチュク諸島 ダブロン島 |
資料にある地域情報 | 東カロリン諸島 トラック島 夏島 |
慰安所があった時期 | 1942年3月 |
記載内容 | ここにもう一人、同じトラック島で慰安婦をしていた鈴本文さん・・・という人がいる。彼女は菊丸さんと違い、”回し”をとらなければならなかった一般兵隊用の慰安婦である。・・・鈴本さんもまた前借金にしばられた芸者であり、トラック島に行ったキッカケは、軍が前借金の肩代わりをしてくれたからであった。・・・「前借金は2300円でしたが、おかげさんで全部払うてしもうて帰るときには1万円の貯金ができとりました。」「あのときは40人ちこう行ったんかしら。大阪のグループと神戸の福原遊郭のグループの合併でね。」 |
証言者 | 鈴本文(仮名) |
証言者属性 | 日本人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 証言記録従軍慰安婦・看護婦――戦場に生きた女の慟哭 |
著者、公文書発信者など | 広田和子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1975.11.15 |
発行所 | 新人物往来社 |
ページ | 38, 42-44 |
出典備考 | |
備考 |
証言者は「一般兵隊用」慰安婦で、塀で囲われた建物の「士官用」と区別されたこと。1年の契約。仕事は朝5時半。9時消灯。10時から1日に相手するのは40人近く。料金は時間単位で計算。組み合わせは仲居さんが考慮。検査は週一回。コンドームで避妊。「戦死したら軍属として靖国に祀られる」と言われた。――証言者は、1942年3月にトラック島に渡り、1943年12月末に帰国。当時18歳。
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