出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄領 カーニコバル島 |
資料にある地域情報 | ニコバル島 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ニコバル島に内地から慰安婦が4人きたニュースをもってきたのにはあきれさせられた。・・・2ヵ月余り、海軍将校と下士官連中に占領されていた慰安婦が、やがて私たち軍属にも開放される日がきた。・・・一台のトラックに50人ずつ乗って、島のマラッカ海側を通って、慰安所に向かって走った。途中にインドネシアの慰安婦のいる陸軍の慰安所があった。5,6人のインドネシア女性が、井戸端で裸になって身体を洗っていた。陸軍の慰安所をすぎて、さらに何キロか走ってトラックは止まった。椰子の葉で屋根を作った小屋が三棟あった。一棟は倉庫をかねたもので、この慰安所を経営する老夫婦の部屋、一棟は喫茶店、あとの一棟は四つに仕切られ、慰安婦の接客部屋になっていた。・・・その部屋ごとに、30名か40名の列がならんだ。・・・たしか、私のならんだ列は、4号であった。・・・かの女ら慰安婦の多くは、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされてきたのだそうだ。 |
証言者 | 河東三郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ある軍属の物語-草津の墓碑銘 |
著者、公文書発信者など | 河東三郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.3.25 |
発行所 | 思想の科学社 |
ページ | 70-72 74 |
出典備考 | |
備考 | 注:海軍の慰安所(内地からの慰安婦) |