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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報咸鏡北道 恩徳郡 洪儀
資料にある地域情報慶興郡 青鶴洞からトラックで行った山奥、近くの洪儀という山村
慰安所があった時期
記載内容18歳の年のある日、背広姿の日本人からいい職を紹介してやると言われ、どんな仕事か知らないが物乞いをするよりはましだろうと思って承諾した。そして同じ年頃の娘数十人と一緒にトラックに乗せられて会寧駅に行き、そこで汽車に乗り換えて咸鏡北道慶興郡(今の恩徳郡)青鶴洞に到着した。そこでまたトラックに乗せられ名も知らない山奥におろされた。そこには17~18歳ぐらいの娘たちがすでに10人余り来ていた。日本兵は私たちをバラック小屋に連れて行き、1部屋に1人ずつは入れと言った。そこは「慰安所」で、部屋はかますや板で仕切られているので、隣の声がよく聞こえた。その日から私は栄子という日本名で呼ばれた。私の部屋に最初に現れたのは、私たちを連行した者の1人で、私服を脱ぎ、中尉の肩章のついた軍服を着ていた。かれは力ずくで私を強姦し、そのあと、つづけざまに7人の将校に犯された。翌日から、20~30人、日曜日には40~50人の将兵を相手にさせられた。・・・近くに洪儀という山村があり、その付近に駐屯している日本軍への移動奉仕も強いられた。その一帯の3つの駐留地のうち洪儀には「慰安所」がなかったので、移動奉仕を命じられたのである。検診は週に1回で、病気で性奉仕ができなくなるとどこかへ連れ去られ、新しい「慰安婦」が送られてきた。
証言者金英実
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル踏みにじられた人生の絶叫
著者、公文書発信者など「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
公文書宛先
発行日1995
発行所「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
ページ24-25
出典備考注:「青鶴洞からトラックで行った山奥」の地名は不明。ここでは移動奉仕先の「洪儀」で採った。
備考 ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・古邑洞5万分の1の地図に「洪儀洞」がある。豆満江下流、西岸付近である。地図の中央左側である。現在の地図で同所は「恩徳郡洪儀」である。なお、青鶴洞は古邑洞の西隣りに雄基の地図にある。ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・古邑洞及び雄基は次を参照のこと。
http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=jnm_003_0010_0060
http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=jnm_003_0010_0100
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