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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報仁川広域市
資料にある地域情報仁川ゴム工場の近く
慰安所があった時期1943年7月
記載内容ある日、家に区長が来て、父に、生活がくるしいだろうから、仁川ゴム工場に娘をやったらどうかと言った。貧乏人の私は冬も一重のスカートをはいてすごしていた。父は区長にだまされ、私は、1943年7月、「ヒヌマル」という船でソウルに連れて行かれた。ソウルで1泊し、ほろつきのトラックで仁川へ護送された。仁川ゴム工場のそばに長屋があって、14の部屋があった。広さ2m×1.3mぐらいの部屋は煉瓦で仕切られていた。昼間は日本軍兵営の掃除をし、晩は14~15人の兵士を相手にさせられた。・・・私といっしょに連行された4人の娘はみな生死不明である。日本軍は私たちをもてあそび獣欲をみたして、使いものにならなくなると、「慰安所」の外へ連れ去り、別の娘を連れてきた。「慰安所」の外へ連れ出された娘たちの消息はわからない。慰安所の責任者は日本人だったが、名前は覚えていない。「慰安所」には看板を掛けてあったが、字が読めなかったので、なんと書いてあったかわからない。
証言者李宗女
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル踏みにじられた人生の絶叫
著者、公文書発信者など「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
公文書宛先
発行日1995
発行所「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
ページ69-70
出典備考
備考 ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・仁川5万分の1の地図に「仁川府」がある。地図の中央上である。現在の地図で同所は「威州郡連浦里」である。ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・仁川は次を参照のこと。
http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=jnm_017_0020_0080
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