出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 済州特別自治道 ソギィポ市 テジョン邑 |
資料にある地域情報 | モスリッポ(摹瑟浦) |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 需要のあるところ供給ありで、京都から、その名も「祇園」というパンパン屋がモスリッポに進出してきた。内地では商売しにくくなったのであろう。・・・女たちを取りしきる女将は、色町出身らしい50歳前後、女たちは京女らしい若いのが2人、昨日まで農業の主婦だった、と思われるような年配の一人で、・・・私は週一度、彼女らを検診した。検診台は、前任者並河大尉が木工科に作らせたもので、膿汁を排出しているものには休業を命じた。 |
証言者 | 御園生一哉 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | 高栄丸 |
資料タイトル | 比島軍医戦記 |
著者、公文書発信者など | 御園生一哉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1983.1.15 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 73、80 |
出典備考 | |
備考 |
ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・摹瑟浦5万分の1の地図に「摹瑟浦」がある。地図の右端にある。摹瑟浦は境界にあり東隣りの大靜及馬羅島も参照のこと。現在の地図で同所は「ソギィポ市テジョン邑」である。ソウル特別市立鍾路図書館所蔵の地図・摹瑟浦及び大靜及馬羅島は次を参照のこと。 http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=jnm_028_0020_0130 http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=jnm_028_0020_0090 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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