出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | サバ州 サンダカン |
資料にある地域情報 | サンダカン、市内から少し山の中に入ったところ。 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ニューギニア島の慰安所への到着から約1年後に、空襲の激化に伴う移動。ボルネオ島で最初に拘束されたのはシンカン(サンダカン)の慰安所。小さな市内だったが…慰安所は市内からしばらく入った山の中にあった…そこも一線地区だったから爆撃がひどくなり、一か所に2~3か月以上はとどまれず、小さな村々を転々としたので、私がいたところをいちいち覚えられない。軍人が慰安所をつくっていた。いくつかあり、ヤシの木で創ったインドネシア式の家だった。慰安所は1慰安所、2慰安所といった。ボルネオでは2、3ヶ月に1度の割合で転々と移動。経営者は連行の引率者のクニモト。 |
証言者 | 孫判任 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち2 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会 |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | ハヌル |
ページ | 69-79 |
出典備考 | 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』2003.2.20 明石書店 421p |
備考 |