証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報東ニューブリテン州 ラバウル
資料にある地域情報ラバウル
慰安所があった時期1942年10月
記載内容10月25日朝よりの発熱は、午前中も下がらない。・・・三日熱マラリヤ、熱帯マラリヤ、デング熱の三種混合とのこと。・・・11月5日に軍医から、もう大丈夫、と軽業の許可が出た。・・・その日の夕食後、戦闘機の先輩輪島少尉が、「オイ、ツーサン、今夜は慰安所へ連れて行くぞ」。驚いて返事をする暇もない。・・・乗用車に寝衣のままかつぎ込まれてしまった。・・・「ツーサンが顔を見せないと慰安所は火が消えた様で面白くない・・・一晩ゆっくり看病してもらって来い」・・・かねて馴染みの若丸の部屋に降ろされた。・・・下士官兵の慰安所は、夜はもちろん外出する者はいないので空いている・・・慰安婦は朝鮮出身者だったが・・・一人だけ和服を着て座っており、・・・「お帰りなさい」と淀みない標準語で挨拶をされ、・・・それが半年余り交際するようになった若丸であった。本名は忘れてしまった。・・・ここラバウルに今いる海軍下士官兵用慰安所の慰安婦は、ほとんどが元山付近の北朝鮮出身者が多いのだが、初めは女子勤労挺身隊として徴用され、横浜に着いた時に、内地の軍需工場で働く者と前線の慰安部隊との希望を聞かれ・・・食事洗濯の手伝いくらいに考えて、前線を希望したのだという。
証言者角田和男
証言者属性
部隊名
資料タイトル零戦特攻
著者、公文書発信者など角田和男
公文書宛先
発行日1994.6.10
発行所朝日ソノラマ
ページ181-187
出典備考本資料は『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』の題名で2002.3.17に光人社から刊行されている。本資料で紹介した「慰安婦と士官教育」の項を見ると、記載内容は殆ど同一である。光人社版では155-164p
備考
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