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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報東ニューブリテン州 ココポ
資料にある地域情報ココポ
慰安所があった時期1943年7月
記載内容近い内に何処からか慰安婦が来るらしいとの事だった。・・・事実となってココポの俺達の居るすぐ下の倉庫に毎日数人の兵隊が来て、その中を小さな部屋で仕切り、彼女達の来るのを、一日千秋の思いで待ちこがれた。数日後に方面軍より会報にて慰安所使用に対する注意が各隊に伝達された。・・・今日はいよいよ開店日、朝の8時頃よりどっと詰めかけた各隊の兵が何列も何列も、この暑さをものともせず慰安所の前に並んでいる。・・・指定された今日の外出の兵だけでも1000人は越えるだろう。この男達を20人位の女でどうさばくのだろう。
きちんと身支度をした愛子が、貴男だけは信じてと自分の数奇な運命を涙ながらに語り出した。長野県の片田舎に生まれた彼女は・・・従軍看護婦に志願。・・・第一線の陸軍病院に勤務・・・しかし彼女の美貌が院長にみそめられ・・・いつも自分のそばから離さない。・・・遂に院長の魔の手がのび・・・中年男のみだらな欲望に踏みにじられた。・・・この男を殺して、自殺しようと毒薬を入れた酒を飲ませ様としたが、・・・みやぶられ、院長の知るところとなり・・・遂に最前線の野戦病院に転勤されてしまった。・・・日本軍隊の誇り高い蔭には、みにくい高級幹部の為に生けにえとなり、自ら慰安婦までになり果てた女は決して私だけではない。と涙ながらに語りおえた。
証言者高橋義
証言者属性日本軍兵士
部隊名輸送隊
資料タイトルあゝラバウル
著者、公文書発信者など高橋義
公文書宛先
発行日1970.3.20
発行所日新報道出版部
ページ107、144-145
出典備考『季刊戦争責任研究 第5号』日本の戦争責任資料センター 1994秋 25-26p
備考 『季刊戦争責任研究 第5号』日本の戦争責任資料センター 1994秋 25-26p
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