出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | ペリリュー州 |
資料にある地域情報 | ペリリュー |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 話を総合すると、芸者・久松の最期は次のようであった。愛する男と命をともにしたいという久松の情熱と決意に負けた引野少佐は、他の一般邦人が内地に引き揚げているさなか、彼女をともなってペリリュ―島に渡った。久松の表むきの身分は「軍属」ということであったというが、引野少佐の身の回りの世話をする当番兵的仕事をしていたともいう。 軍曹の名前はスキーという。”久松”が勇敢に戦ったことは、軍曹が目撃している。彼女は丘の上に孤立し三方から海兵隊に包囲された。そのとき、彼女は機関銃を乱射した。・・・海兵隊の死傷者は86人をかぞえた。・・・やっと射殺した。・・・近づくと破れた軍服からのぞく肌の白さから女性とわかり、深く感銘をうけた。 |
証言者 | 一人の海軍兵曹の証言をバート・尾形が報告 |
証言者属性 | バート・尾形は米軍兵士・日系米官吏 |
部隊名 | |
資料タイトル | 玉砕戦の孤島に大義はなかった |
著者、公文書発信者など | 舩坂弘 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.6.29 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 104-106 |
出典備考 | 注:光人社NF文庫から改題『秘話パラオ戦記 玉砕戦の孤島に大義はなかった』(2000.1.18)が刊行されている。この資料では113-114p 。梅田せつ(久松)のこと。 |
備考 | 前半は舩坂弘のまとめ、後半はバート・尾形の報告 |